エッと思うほどの暖かい日、夜になっても家の中は20度あり
日中はシャツ一枚でも大丈夫なほどでした。
ありがたいけど、この温暖に慣れてしまうと
例年通りに戻ると、柔な私は寒く感じてたまらないのですよ。
と、つい自然のなりゆきに文句してしまいました。
小春日和の今日、私はかなり達成感を感じてます。
と言うのも父94才を昨日、ようやく施設に入所して貰って
押しつぶされそうなほどの不安が軽くなったのです。
母が入所してからの4年間、父とはぶつかってばかりでしたから
どんどん目が悪くなり現在ほとんど見えていない状態でしたし
認知症の症状も進むばかりでした。
7月から三度の腰椎圧迫骨折、もしも次に転倒したら
歩けなくなる大怪我で寝たきりになるだろうと
常々考えてしまっていたし、もしも火事を起こしてしまったら
家に近くに川が流れているのですが、落ちてしまうかもとか
独り暮らしは無理だと、本人にはずっと話し合いしていたのです。
認知症だと言われていても認めていない父は
出来ていない事そのものをヘルパーさんのせいにしたり
不都合が生じるとすべて盗まれたからと言い
お金に執着のあまり、ヘルパーさんに買い物する内容をお金で制限し
自分が食べる食事でさえ満足に作って貰えないような状態だった事
作り置きお料理が見えない、何処にあるか忘れてしまう
レンジで温めたら、それは冷凍の肉だったと言う時も。
近頃は毎日介護の力を借りてきたのだけど、一日の中で
わずか2時間、または30分は助けて頂いた事でどうにかやってこれたのでした。
誰も居ない時は薬の飲み忘れや違うものを飲んでしまったりと、
一日でも早く施設で安全に暮らして欲しいと願っていたので
やっとです。
語りつくせぬような、考えられないような妄想をし
被害を受けたなどと、認知症特有の症状がどんどん強くなって
私やヘルパーさんを泥棒扱いする言動に、病とは言え
もううんざりで、私としては限界にきていました。
そして耳が遠い為、こちら側の話をきちんと理解できないので
常に大声で話しをせねばならず、本当に親を虐めている娘のように
映っていたのではないかな。
入所を拒み続けてきた父ですから、当然嫌がりましたが
施設の方はさすがプロです。
話をどんどん変えながら意識を私から反らし、そっと離れていき
部屋に連れて行ってしまいました。
ですから私に対し今は不信感、暫くは面会はせず
スタッフさんが「娘さんはお仕事で暫く東京に行ってしまったから
会いに来れないそうです」と言ってくれていて、見守る事になりました。
もしも大騒ぎして食事もハンスト続けて何てことになってしまったら
退場だなと一抹の不安はありましたが、今日施設に行き様子を聞きましたら
昨夜も今朝もお食事を完食し、ちゃんと睡眠し
先程はお風呂に入れて貰って、入所者の古株さんから話しかけられ
楽しそうに会話していたとの事、さすが介護のプロ集団ですね。
本当に感謝でした。
父は「ずっといる気はなく、しょうがなく少し泊まるだけだ」と
言っているそうなのですが、なんとか落ち着いて穏やかに過ごしてくれたら
自分ではしてあげられなかった快適な暮らしになると
胸を撫で下ろした所なのです。
長々詰まらぬ内輪話をごめんなさいね。
介護で苦労してきたので、世の介護に追われている多くの人にも
きっと良きタイミングが来るから、今は大変辛くても
無理し過ぎず、出来る事をすればいいのだとお伝えしたかったのです。
施設探しのお話はまた🎵
ラベル:家族