お腹がいっぱいになったら、エネルギーになるけれど
持久力とは別物。
小さくとも希望の光を心に保ち続けて、何とか動けたあの頃を
ふと思い出しました。
今日は父の所に、会いに行って来ました。
穏やかな可愛いおじいちゃんになって、あの入所前の
状態からは信じられないような落ち着きっぷりで
つくづく良き環境で介護して貰って安心感を得たのだと思います。
良かれと思って介護している中、認知症とは言え、酷い事を言われて
心が折れ、あのまま続いていたらと思うと
本当に恐ろしい事になっていたかもしれません。
共倒れも有り得たと思うし、何が起こっても不思議ではない
介護する側もされる側も、ギリギリな所で生きている瞬間が
あるんですよね。
数日前は、母の施設へ面会してきたのですが
父同様、安心出来る状態でした。
母は配膳やお洗濯などのお手伝いが出来て
ヘルパーさんに褒めてもらうのが嬉しくて
イキイキとしています。
感謝です。
私への暴言はあの時の感情は、すっかり消えてしまったのでしょう。
不思議なものです。
あの時ボロボロに疲れて、精神状態がズタズタになって
娘だからと言って、どうして苦しまなければならないのか
高齢な両親が人生の終盤で、ただ普通に穏やかに暮らせるように
整えてあげたいだけなのに、本人達は認知症はウソで正常だと信じ
むしろ娘が病気をでっちあげた悪者であり、盗人で信じられない存在だと
罵り疑いをかけ、どんな事をしても不信感の塊で
出来ない事は命令し、やらないと親不孝者扱いをして
蔑むのです。
あの頃は、冷たく立ちはだかる壁が伝わって
介護のプロに託さねば終わらないんだなと確信しました。
最初に相談した社会福祉士の方が、とても親切な方で
どんな状況でも歩調を合わせて、次のステップをサポートして
見守り続けてくださり、どれだけ救われた事でしょう。
後に両親それぞれに合った介護サービス、ケアマネを紹介され
私自身、関わり方を学べた気がします。
二人の介護サービスの利用時や入所の手続きも含め、嘘も方便で
タイミングは母が先に認知症になり、一人づつ進めていって
何とか最終的に入所出来た時は、本当にやっと苦しみから解放されるんだと
霧が晴れたような感覚でした。
今、介護で苦しんでいる方が限界を感じているとしたら
もう十分頑張ったのだから、次の段階へ進んで欲しいと思います。
親が自分を捨てるのかと訴えたとしても、落ち着けば
そんな時の事は忘れてしまうようなので、安心してください。
上手に伝えられず、ダラダラと書き綴ってしまいましたが
親も子も、それぞれの人生を全うする為に、我慢をし続けてはいけません。
最善への道を見つけて、前に歩いていきましょうね。
ラベル:家族


